ADHD娘の小学生時代|漢字・遅刻・提出物…気づかなかった発達の凸凹

ADHD娘の子育て

小学校の6年間を振り返ると、不安要素はあちこちにありました。

でも当時の私は、それをひとつひとつ「まぁこんなもの」「そのうち成長するだろう」と受け流していました。今思えば、あれもこれも全部つながっていたのに。

友人関係——輪には入れているけれど

友人関係については、別の記事でくわしく書いています。

ひとことで言うと、「孤立しているわけではないけれど、どこか輪に入りきれていない」そんな感じがずっとありました。約束して遊ぶこともあるし、いじめられているわけでもない。でも特定の仲良しグループがあるわけでもなく、日替わりでどこかのグループに混ぜてもらっているような雰囲気。

みんなと仲がいいといえばそうなのかもしれない。でも「この子と特別仲がいい」という関係が見えてこなくて、見ていてなんとなく落ち着かない気持ちがありました。

漢字と勉強のつまずき



成績は良くも悪くもなく、まぁ普通。でも漢字の苦手さだけは顕著でした。

毎朝行われる10問の漢字の小テスト。ギリギリ合格点が取れるかどうかの綱渡り。いくらドリルを繰り返しても、小学校低学年レベルの漢字さえ怪しい。かろうじて形は合っていても、止めや跳ねが曖昧で減点される。漢字が苦手なせいか、文字を書く量が多い社会も苦手でした。

算数は算数で、単位を書き忘れる、小数点の位置を間違えるといったケアレスミスが目立ちました。本人は「時間がなくて慌てた」「計算した答えを書き写すときにうっかりした」と毎回弁明していて、私も「答えはわかってたんだよね、もったいなかったね」と大して気に留めていませんでした。

今なら分かります。あのケアレスミスの多さも、漢字が頭に入らないことも、ADHDやLDの特性と深くつながっていたのだと。でも当時の私には、その視点がまったくありませんでした。

宿題・提出物バトルの日々



漢字の苦手さよりも、実際に毎日しんどかったのはこちらでした。

  宿題を始めるまでが長い長い。提出物は期限ギリギリか、先生に注意を受けたのち遅れて提出。翌日の支度はままならない。夏休みの自由研究はほぼ私がやったようなもの。先生との面談では定型文かと思うくらい、どの先生にも毎年決まって「マイペースですね」と言われていました。

宿題・明日の支度・ご飯・お風呂・歯みがき・就寝。たったこれだけのことが、毎晩戦いでした。右のものを左に動かすだけのことに、どれだけのエネルギーを注いでいたことか。

娘は苦手なことは後回しにするタイプ。
私も夏休みの宿題を溜め込むタイプなので気持ちは分からなくもありません。
ただこのままだとマズいなと焦る様子もない娘に対して「早く宿題を終わらせて!」と言わない日はなかった。

宿題の丸つけ、音読へのサイン、九九のタイムを記録するなど——学校からの「自分の子を監督しなさいね」という「圧力」としか思えない任務が課せられているので、知らないふりもできません。これはいったい誰の宿題なんだろう、と何度思ったことか!

そういえば、先生から毎年言われた「マイペース」という言葉には、もうひとつ理由があったと今は思っています。

娘は時間の感覚が鈍い子でした。毎朝の通学班の集合時間に間に合わせるのが、本当に大変でした。みんなを待たせてしまうことも多く、近所の方には申し訳ない気持ちでいっぱい。「あと10分」「あと5分」——その時間で何ができて、何をするには足りないのか。そういう感覚が、なかなか身につかないのです。

後からADHDの特性のひとつに「時間感覚の弱さ」があると知りました。見通しが立てにくく、時間を逆算して動くことが苦手。だから直前になって慌てる、間に合わない。

実はこれを知ったとき、思い当たることがありました。若い頃は私も遅刻魔でした。同じ特性があるかもしれない…発達障害は遺伝的な要素もあると言われています。子供のことを調べていくうちに、「もしかして私も?」と気づく親御さんは少なくないようです。私自身のこと、そして家族のことについては、またいつか別の記事でお話しできればと思っています。

うちの子も一緒だと思った方。安心してください。そんな娘は今、自分の特性を理解して早め早めの行動ができるようになり、遅刻魔は卒業し早めに到着、期限内にちゃんと提出できる人になりました。

迷子なのに呑気すぎる娘


外でも娘らしいエピソードが山ほどあります。

スーパーではショッピングカートを押している私の横からいつの間にかいなくなり、店内をひとりでウロウロ。ショッピングモールでは迷子になる。

まだ買いたい物を何ひとつ買っていないのに。
必死に探し回って、ようやく見つけた娘はちっとも困った様子もなくウィンドウショッピングを楽しんでいる。

「あ、ママだ!ママいた〜!」

……迷子になったのはあなたの方です。店内放送で私が呼び出されたことも何度かありました。

外食もファーストフードが限界だった時期があります。食べている間も食べ終わってからも、じっと席に座っていられなかったからです。ファミレスやカジュアルなお店に行けるようになったのは、もう少し大きくなってから。きちんとしたレストランは更にずっと後のこと。

ある日、通りすがりにおしゃれなカフェをふと覗いたとき、小さな子どもとお母さんが並んでスイーツを楽しんでいました。ほんの一瞬、目に入っただけの光景です。

なのに今でも鮮明に覚えているのだから、よほど衝撃だったのでしょう。

おとなしく椅子に座って、お行儀よくケーキを食べる小さな子ども。まるでドラマの子役みたい——そんな子、実在したんだ。

我が家では到底たどり着けなかった世界に、羨ましいような、切ないような。ファーストフード限界説を唱えていた私には、遠すぎる午後でした。

それでも「発達障害」とは思わなかった

授業中は座っていられる。先生から「落ち着きがない」と言われたことはない。ふわふわしたマイペースな子、という認識で6年間が過ぎていきました。

「発達障害」という言葉に辿り着かなかったのは、娘の多動が「動き回る」タイプではなかったからかもしれません。じっとできないのは家にいる時や家族で出かけた時だけで、学校では座っていられた。だから見過ごされてきた。

それに正直なところ、当時の私の意識は娘よりも息子の方に向いていました。息子には強烈な「こだわり」があって(これについては別の記事で書いています)、そちらへの気配りで精一杯だったのも事実です。

娘の問題は「娘が早く成長すれば解決する」と思っていた。発達障害だとは、これっぽっちも思っていませんでした。

小学校を卒業して、中学へ

小学校の6年間は、なんとか乗り越えた——というのが正直な感想です。

宿題バトルに疲弊しながらも、大きなつまずきなく卒業できた。でもその裏で、気づかれないまま積み重なっていたものがありました。中学に入ってから、それが一気に表面に出てきます。

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