「うちの子、友達と遊んでるけど…なんだか輪の外にいる気がする」ADHD傾向のある娘は、一見すると楽しそうに過ごしているように見えました。でも、よく見るとニコニコしながら”ついていっているだけ”
息子の発達障がいに気を取られ、娘の孤立に気づくのが遅れてしまった私の体験談です。
新しい幼稚園で感じた小さな違和感
それまで通っていた幼稚園から離れ、新しい土地での新しい園生活が始まった娘。もともと明るくて活発な子。
誰とでもすぐに仲良くなれるタイプでした。でも、引っ越し後、少しずつ様子が変わっていきました。新しい園には毎日楽しそうに通っていました。帰ってきても「今日も楽しかったよ」と笑って話してくれていたので、特に気にしていませんでした。
しかし、行事などで園に行った時、私が感じたわずかな違和感。お友達が何人かでわいわい遊んでいる輪の少し外に、笑顔で、だけどぽつんと立っている娘の姿がありました。ニコニコしていて、何か困っているようには見えません。でも、自分からその輪に入っていこうとする気配もなく、ただ静かに、遠くから眺めているだけのように感じられて……。
「あれ? この子、前はもう少し積極的だったはずなのに」
少し胸がざわついたのを今でも覚えています。
小学校の友人関係|仲良し3人組ができたけれど…

その後、小学校に上がると、園で一緒だったお友達は近くにいませんでした。またゼロからの人間関係づくり。多少心配はあったものの、すぐに仲良しの3人組もできて「よかった」とホッとしたのもつかの間。やはり参観日などで学校へ行った時、放課後に遊んでいる様子を見たり、また話を聞いたりしていると、娘はただ“ついていっているだけ”なのでは……?そう思うような場面が多くなってきました。
娘自身は「楽しいよ」と言っていました。でも、何か違和感がある。表面的には「仲良しグループ」でも、本当に心から楽しんでいるのかな?
そんな疑問が、少しずつ大きくなっていきました。
習い事でも感じた孤立感と親の葛藤
習い事のダンス教室でも、同じような光景を目にするようになりました。レッスン前後の自由時間に、他の子たちはキャッキャと楽しそうに話していました。でも、娘はその輪の中にいない。大抵は私のそばにいて離れませんでした。
娘に「お友達と遊ばないの?」と聞いても、「うん…いい」と笑って答える。でも、その笑顔が本当なのか、無理をしているのか、私には見抜けませんでした。声をかけてくれる子がいれば輪に入りますが、自分から行こうとはなかなかしませんでした。親として、何をしてあげればいいのか分からない。そんな葛藤を抱えながら、ただ見守ることしかできませんでした。

そんな娘ですが、年に一度開催されるダンスの発表会。ステージに立つ時はいつだって、キラキラした笑顔で踊っていました。普段は人の後ろに立っている娘なのですが発表会は大好きで、よりセンターに近い位置で踊りたいという思いがありました。キッチンでも、ショッピングモールでも踊っては私に怒られていました。普段人の後ろに立っている時とは全く違うのです。心から楽しんでいる発表会での姿を見て、私は思いました。
「あぁ、本当にダンスが好きなんだ」
たとえ友達の輪の中にいなくても、ダンスという夢中になれることがある。正直、特別上手だったわけではありません。でも好きなことに没頭している時の娘は、本当に輝いていました。それ故に、苦しい思いをすることにはなるのですが…
友人関係で悩む子に親ができることとは…?
小中学生の女の子たちの会話は、テンポが速い。キャッキャと笑いながら、話題がどんどん切り替わっていく。
娘は、自分の気持ちを言葉にするのが少し苦手でした。話したいことを頭の中で整理しているうちに、話題はもう次へ移ってしまう。人の話を遮ってまで割り込む性格でもないから、タイミングを逃したまま。話題が変わったあとに、ようやく「あのね」と話し出す娘は、「天然だね」と笑われることもあったとか。そのうち、話そうとしても「まあ、いいや」と思うようになっていったそうです。気づけば、口数の少ない、おとなしい子になっていました。
高校時代は、友達と呼べる子がいませんでした。でも専門学校生になった頃、ようやく自分と話すテンポが合う子に出会えたのです。一緒にいる人を、自分で選べるようにもなっていきました。
これは後から娘に聞いた話を、私なりに紐解いたものです。発達障がいとの関係はわからないけれど、そういうことだったのかな、と今は思っています。
気がつけば娘は、私に話しかけるときも「ママ、あのね…。ママ、あのね…あのさ」と繰り返すようになっていました。言葉がなかなか出てこない。うまく話そう、早く話そうとして、余計に出てこなくなっていたのかもしれません。
それに気づいてからは、急かさず、遮らず、ただ待つようにしました。面と向かって待ち構えるより、何か作業をしながら話を聞く方がかえって話しやすそうで。相槌のタイミングを意識して、生返事はしないようにしました。うまく言葉が出ないときは、「こういうこと?」と言い換えてみると、「そう!そうなの!」とさらに話が続いていきました。
特別なことをしたわけではないと思います。仕事相手や友人と話すとき、自然と相手のペースに合わせ、言葉を選ぶ。それと同じことを、娘との会話でもするようになっただけでした。
人間関係って、幼い頃から小さなトラブルを重ねながら学んでいくものだと思っています。誰かと揉めて、親に話して、相手の気持ちを考えて、伝え方を工夫して。そうやって少しずつ、自分で解決する力がついていく。
正直に言うと、私がそれをうまくやれていたか、自信がありません。
SST(ソーシャルスキルトレーニング)という言葉を知ったのは、発達障がいについて調べていたときに出会った本の中でのこと。「医者でもカウンセラーでもない私にできるものではない」と思っていました。今思えば、難しく考えすぎていただけなのかもしれませんが。
あるとき、子どもと友達のやりとりを一語一句聞いて、「〇〇ちゃんはなんて言ってた?」「こう返しなさい」「〇〇ちゃんは誰と仲がいいの?」「じゃあ〇〇ちゃんと仲良くしておけば?」と指示しているお母さんを見かけたことがありました。何としてでも子どもを仲間に入れようと必死なように見えて、どこか違和感を覚えた私は「私にはできない、したくない」と感じました。でも今になって思うのです。そんな我が子だからこそ、難しく考えずにそれをやってあげたら、違う結果になっていたのかも…と。
もともと一人でいることが苦ではなく、群れるのが得意でない私には、どうにかしてどこかのグループに属すことを促す姿がどうしてもしっくりこなかった。でも、それは私自身の感覚を子どもに当てはめてしまっていただけ。幼いうちは、まず輪の中に入れてあげることが大事だったのかも………いや、やっぱり私にはできなかったと思う。そんな思いがぐるぐると回ります。
適切な加減がわからないまま、時間だけが過ぎていきました。
ひとつだけ確かなのは、娘が「自分らしくいられる場所」を持てることが、何より大切だということ。孤立させたくはなかった。でも、無理に輪の中に押し込むことでもなかった。その答えは、今もまだ出ていません。
正解ってなんだろう、と今でも時々考えます。

