娘が不登校になった10日後、息子も「僕ももう行かない」と言って学校に行かなくなりました。娘のことで頭がいっぱいだった私は、どうする気力もありませんでした。息子に関してはむしろよくここまで頑張ってきたね。そう思った記憶があります。今回はそんな息子の乳幼児期のことを書こうと思います。
「手のかからない子」だと思っていた
まだ言葉を発する前、よちよち歩きの頃の息子は手のかからない子でした。少なくとも、当時の私にはそう見えていました。
娘は引き出しという引き出しを全部開けていくタイプで、片時も目が離せませんでした。それに比べて息子はミニカーがあれば、ひとりでいつまでも遊んでくれてした。また、窓の外を走る大好きな車を眺めながら、ひたすらじっとしているのです。その間に家事を済ませられるのが、どれほどありがたかったことか。
ただ、抱っこが好きではなかったので手を繋いで歩くのですが、気になるものがあると突然手を振り払って駆け出していくことがありました。
ある時、マンションの家のドアを開けた途端突如駆け出したと思ったら、エレベーターのボタンを押しすぐに来てしまった降りのエレベーターに、1人で乗って行ってしまったことがあります。道路に飛び出さないことを神様仏様に祈りつつ、階段を爆速で駆け下りました。
ギリギリ間に合って、泣きもせず笑顔の息子と1階のエレベーターホールで再会できた時は安堵しました。
幼児用のハーネスがネット販売されているのを見た時「いくら可愛いデザインとはいえちょっと…」と否定する気持ちがあったのですが、この時ばかりはハーネスを買おうか一瞬悩んだのはいうまでもありません。
それでも困ったのはそれくらい。眠たい時には気がついたら眠っていたし、お腹が空いたら泣きお腹いっぱいになれば寝る。第二子ということもあって私にも多少の余裕がありました。
なぜ泣いているのか分かりやすい、男の子ってこんな感じなのかな、くらいに思っていました。
車大好き

息子が最初に覚えた言葉は「ママ」「パパ」の次は「わんわん」でも「にゃんにゃん」でもなく「えってぃま」でした。「えってぃま」=「エスティマ」、つまり車の名前です。お気に入りのエスティマのミニカーと同じ車を外で見つけると「えってぃま!えってぃま!おーじ!おーじ!(同じ!同じ!)」と大興奮でした。
マンションの目の前の道路は交通量の多い道だったのですが、毎朝、幼稚園のバスが来るマンション下のバス停で、娘を送り出した後が大変でした。行き交う車を眺めるのが好きな息子を、家に連れて戻るのには苦労しました。
そんなある日ふと思ったのです。気が済むまで待ったら、一体どれくらい車を見ていられるのだろう、と。マンションの植え込みに腰掛けて待ってみました。そしたらどうなったか。
その日は幼稚園が午前で終わる日だったのですが、娘を乗せた幼稚園バスが帰ってきたのです。3時間以上、ずっと車を見ていたのでした。
お気に入りのもの

息子にはどこへ行くにも手放せないお気に入りのくまちゃんがいました。スヌーピーに出てくるライナスの毛布のようなもので、出かける時に持っていくのを忘れると大変でした。3秒悩んだ末に引き返すこともよくありました。バタバタと支度して、大事と分かっていながら忘れた自分に腹が立つやら「大事なんだから肌身離さず持っておいて」と息子に対して思ったり思わなかったり。「またやってしまった…」とため息をついていました。
ある時取りに帰るには遅すぎて「くまちゃんは今日はお留守番だよ」と言ったこともありました。すると息子は癇癪を起こし、宥めるのにそれはもう苦労しました。
泣く理由が分かりやすいとは言いましたが、泣いたら最後少々のことでは収まらないのです。一旦落ち着いたと思ってもちょっとしたきっかけでまたスイッチが入る。その度に宥めすかす。数時間下手したら半日それを繰り返す。それならばUターンする方がよっぽどマシというマインドになっていました。
他のお母さんなら「そんなことで?ダメとか我慢してとか言えばいいのに」と思うようなことかもしれません。きっと「子供を甘やかしている」そう思われていたと思います。でも息子に甘いというより、癇癪が起きた後の収拾の大変さを知っているからこそ、先に回避する方を選んでいたのです。経験した人にしかわからない、あの消耗感があったから。
そんなくまちゃんと一緒に、大好きなミニカーも枕元に何十台も、それは綺麗に一列に並べて一緒に寝ていました。セット完了を見届けて、微笑ましく思いながら子供達と川の字になって寝るのですが、夜中寝返りを打った時です。
無防備な状態で食らう硬いミニカーの一撃!いつの間にか布団の中に入ってきていて背中や顔に当たって痛い思いをしたこともよくありました。これは男の子のママあるあるでしょうか(笑
テレビ番組も同じでした。好きな番組を録画して、夕飯の支度中など見ていてほしい時に流すと、お気に入りのお話を何十回でも何百回でも飽きずに繰り返し見るのです。特にお気に入りの話が2つほどあって、さすがの私もセリフを覚えてしまうほどでした。
この頃から息子の「こだわり・執着に近い大好き・好きなものに対する集中力」はしっかりと現れていました。
言葉が遅い
息子は言葉が遅い子でした。幼稚園に入園する頃になっても、文章ではなく単語をつなげて話す状態でした。しかも息子独自の単語が多く、母親である私にはわかるけれど、他の人が聞いても何を指しているのかわからないことがよくありました。
発音がうまくできない「テレビ」を「テべリ」と言うとか、となりのトトロのめいちゃんのように「とうもろこし」を「とおもころし」と言い間違えるとか、そういうものではないのです。
「牛乳」を「ぎっく」、「納豆」を「とっちゅ」というように、全く別の単語で呼ぶのです。なぜその言葉になったのか、今でも謎です。
そのため幼稚園に入園して先生やお友達とコミュニケーションが取れるのか心配でした。入園時に先生にも相談しましたが「大丈夫ですよ」と言ってくださいましたし、「男の子は言葉が遅い子が多い」という話もよく聞いていたので、そういうものかなと思っていた部分もありました。
いつかそのうちと信じつつでもどこかに引っかかりを感じていたのも事実です。
一番大変だったこと——こだわりの強さ
息子のこだわりの中で、一番長く、一番大変だったのが「全てにおいて自分が一番でなければならない」というものでした。
今となっては「あの時は本当に大変だったよ」と遠い目をして話せる——まだ笑える話とまでには至っていないけれど——そんな話です。息子のこだわりに振り回されていた当時の様子はこんな感じでした。
朝私は、子供より早く起きたらパジャマのまま家事をある程度片付けて、子供たちを起こす時間になるとそっと布団に戻ります。そしてさも今起きたかのように振る舞う。息子が一番最初に起きたように見せかけるためです。
娘には申し訳ないのですが、着替えも息子が全て終えるまで最後、靴下だけは履かないでいてもらっていました。そうするとまだ着替え完了していないということにできるからです。また、娘が飲む麦茶と息子が飲む牛乳、先に注いでテーブルに置くのは息子の牛乳。玄関を開けて外に出る時も、部屋に入る時も全て息子が先。

こう聞くと「そんなことまで?やってられない」と思われるかもしれません。夫にも言われました。夫にとっては息子のこだわりは大きな声を出せば息子がひるんで言うことを聞く、ただそれだけのことでした。でも息子の苛立ちはその後、私と娘にぶつけられるのです。もちろん私だけの時はいつもの癇癪が始まります。
気づいたら考えなくても体が動くようになっていました。息子が先。息子が一番。それが我が家の日常でした。
当時息子の癇癪がどれほどのものだったか、書きながら実はあまり思い出せないのです。それほど毎日が大変で、記憶から飛んでしまっているのかもしれません。ただ、泣き出したら20分でも1時間でも延々と泣き続けるということ。それだけは覚えています。
言葉が遅いこともあり、言って聞かせることにも限界を感じていました。「いくら言っても動かない・終えられない娘」と「誰よりも早く終えたい息子」。ふたりの間に挟まれながら、当たり前の日常をこなすために、息子のこだわりに付き合うことが私ができる中での最善の策だったのです。
それが正しかったのかどうか、今でも少し疑問が残ります。自分を優先にしてほしいと思いがちですし、人に予定を合わせなければいけない時、自分が優先されなかった時、苛立つ様子が今も時々見られるのを見るとなおさら。
ただその後通った療育センターでのトレーニングの甲斐もあってか、幼稚園や外では自分が一番でなくても我慢できるようになっていましたし、家の中で私が少し配慮すればいいだけならいいか。
周りからの冷たい視線もどうでもいい。当時はそう思っていました。
急な予定変更が怖い

こだわりの強さと並んで大変だったのが、予定の変更への弱さでした。事前に聞いていた予定が変わると、怒ったりパニックを起こしてしまうのです。
かといって予定を伝えなければ、「先が見通せず次に何が起こるのか分からない」から怒る。
伝えれば「変更になってしまった時」に怒る。
子供がいれば予定も計画通りに進むとは限らないのに。どちらに転んでも地雷になりかねないので、いつ・どのタイミングで・どの程度予定を話すか、頭をフル回転させながら日々過ごしていました。
そんなある日のことです。息子が年中さんの夏のことでした。春に卒園した娘の幼稚園で夏休みに同窓会が開かれ、卒園児たちが園舎に入っていきました。息子も一緒に入れると思っていたところ入れなかったのです。私が詳細を伝えるのを省いてしまっていたのでした。
一旦自宅に戻り、時間になったらお迎えに来ようと思っていたのですが、息子は癇癪を起こしてしまいました。園庭で号泣する息子。抱えると暴れ、車に戻りたいのに戻れません。やっとの思いで駐車場まで来ても今度は車に乗ってくれません。
「お姉ちゃんいなくて寂しいね、大丈夫すぐ帰ってくるよ。幼稚園の中についていきたかったんだね。今日は入れないんだ。悲しいね。暑いからイオンに行って待ってようか?涼しいよ?アイスでも食べる?」
必死で声をかけ続けましたが、そのうちにかける言葉も気力もなくなっていきました。夏の炎天下の中、2時間近く駐車場で嗚咽する息子をただ前にして、私はぼんやりと思ったのです。
これって、普通じゃないよね。
その日私は区役所の保健師さんに相談しに行こうと決めました。
この時はまだ、息子に発達障害があるとは思っていませんでした。というより発達障害について何も知らなかったので、想像もしていなかったというのが正しいかもしれません。
ただ、育てにくさを感じていたのは事実で、誰かに話を聞いてもらいたかったのかもしれません。保健師さんへの相談の後のことは、また次の記事で書こうと思います。
