こだわりの正体を知った日——ASD息子、診断から幼稚園卒園まで

ASD息子の子育て

あの夏の日、駐車場で2時間近く泣き続ける息子を前に、私は「これって普通じゃないよね」と思いました。(前回の記事はこちら:「手のかからない子」だと思っていた——ASD息子の乳幼児期

区役所の相談窓口へ

その日の出来事をきっかけに、私は区役所の子育て相談窓口を訪ねることにしました。

保健師さんに、発語の遅さやこだわりの強さ、日々感じていた育てにくさについて話しました。保健師さんは私の話を丁寧に聞いたうえで、WISCという検査ができる病院を紹介してくれました。

普段ママ友たちに相談すると、「うちの子もそうだよ」「男の子は言葉が遅いっていうしね」「うちの子はこれが苦手なの」と、私を安心させようとして声をかけてくれました。その言葉を信じたい気持ちもありましたし、そんなものかと信じてもいました。

それにしても……それにしても。こだわりが強すぎる。きっと私の育て方が間違っているのだろう。

キツく叱ればいい?いや…。私が怒っていないのに、少し口調に苛立ちを滲ませただけで過敏に感じ取って半べそになる息子。大きな声を出せばいうことを聞くかもしれない。でも恐怖で支配する子育てなんてしたくない。なぜダメなのか、我慢する時なのかを理解しないと意味がない。一体どうしたらいいのか…そんな私に答えをくれる子育て本はないかと、本屋や図書館で探して回っては読み漁っていました。

娘にも手がかかっていましたし、育てにくさとどう向き合えばいいのか、答えの出ない毎日でした。私は他のお母さん達のようにうまくできない。ダメな母親なんだ。そんな思いを抱えながらの相談でした。

「あぁ、やっぱり…」——診断



紹介された病院で息子はWISCという検査を受けました。検査の結果、「高次高機能発達障害」(2012年頃)の疑いがあるとのことでした。

診断を聞いて、ショックはありませんでした。むしろ「あぁ、そうなんだ。やっぱり普通とは違ったんだ」という納得感の方が大きかったのを覚えています。安堵感さえあったかもしれません。正直に言ってしまうと、私の育て方が悪かったからではなかった。そう思いたい気持ちが、どこかにあったのだと思います。

その後呼び方は変わり、「高次高機能発達障害」から「自閉スペクトラム症」へ、そして今は「神経発達症」という枠組みの中にASDが位置づけられているようです。息子はASDの傾向が多く当てはまっていました。

児童発達支援施設に通い始めて



病院からは、未就学児を対象に療育指導を受けられる児童発達支援施設を紹介してもらい、幼稚園が終わったあと週に1回通うことになりました。慣れるまでは私も一緒に教室に入って参加しました。

そこには、少しの間も座っていられない子、先生やお友達とのコミュニケーションが苦手な子、感覚過敏で砂や水に強い抵抗がある子など、いろいろな困りごとを抱えた未就学児が通っていました。

先生たちの空気がとても優しかったのを覚えています。声が出せなくても、急かさず待ってくれる。些細なことでも何かができたら、大げさではない柔らかなトーンで褒めてくれる。

またここでのトレーニングの仕方も印象的でした。砂が苦手ならざらざらしない、手から離れやすい小豆に触れることから慣らす。水に触れるのが苦手なら小さなボウルに指を入れるところから。
お友達に声をかけられなければ、まずは「トントン」と肩を叩くところから。その子ができることを少しずつレベルアップしていく。そんなやり方でした。

施設に通うまで、私は「感覚過敏」という言葉すら知りませんでした。でもそれを知って、腑に落ちたことがいくつもありました。息子が手にご飯粒がひとつ付いただけで「拭き取って」と手を伸ばしてきたこと。公園で砂が少し付いただけで、必死に手を払っていたこと。車の中で音楽をかけることをとても嫌がっていたこと。強い日差しが嫌で真夏でも長袖を着ていたこと。

あれは、単に神経質だったのではなく、特性により「不快」「苦痛」に感じるのだと。

施設での様子は、また別の記事で詳しく書きたいと思います。

時は少し遡って——幼稚園入園当初のこと

息子は幼稚園入園当初、言葉が遅いことでの不安はありましたが、幼稚園自体をさほど嫌がることはありませんでした。「出かける時はいつも一緒」のお姉ちゃんがいるから、自分も行くのが当たり前だと思っていたのでしょう。朝、2人並んで幼稚園バスに乗り込む姿は、今思い出しても微笑ましいものでした。

とはいえ、幼稚園生活にすんなり馴染んでいったわけではありません。みんなで行う体操やダンスには、なかなか参加しようとしませんでした。親も参加する行事では、私のそばから離れようとしない日もありました。ただ、それも息子なりのペースだったのだと、今なら思えます。少しずつ、お友達もできてきて馴染んでいきました。

そんなある夜のことです。娘の小学校入学準備で、算数で使う教材に1つずつお名前シールを貼っていました。夜な夜な作業する私に、息子が「何をしているの?」と聞いてきたので、「お姉ちゃんが小学校で使う道具に、お名前シールを貼っているんだよ」と答えました。すると息子は、はっとした顔をしました。

「え!お姉ちゃん、小学校へ行っちゃうの?僕1人で幼稚園に行くの?」

その時初めて、自分の置かれている状況を理解したようでした。号泣する息子を前に、私は少し戸惑いました。「なんとなくみんな知っている」「なんとなくわかってくる」——そういう、言葉にされなくても察するような力が、息子には少し弱いところがあります。これも発達の特性のひとつなのでしょうか。その傾向は、大人になった今も残っています。

そして春、娘は幼稚園を卒園しました。年中さんになった息子は1人で幼稚園に行かなければなりません。毎朝のように泣いて大変でした。頼れる存在がそばからいなくなる心細さは、私が思っていた以上に大きかったのかもしれません。

そんな日々を経て迎えた、あの夏の駐車場での出来事でした。(そこから先は、ここまで書いてきた通りです。)


療育センターに通っても、「できないこと」や「こだわり」は、たくさんありました。相変わらず自分から話しかけることも少なかったです。それでも幸運なことにお友達に恵まれ、少なくとも園の中では、「こだわり」をぐっと我慢できるようにもなっていました。そうして息子は、無事に幼稚園を卒園することができたのです。

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